小川梅吉さんの鋸(のこ)と父
小川梅吉さんいう方が静岡県興津でみかんの剪定用の鋸を作っていました。父が若い頃、国の果樹試験場の興津支場にいたときに出会った方だそうです。今から、かれこれ60年も昔の話です。以来、父はずっと小川梅吉さんの製造された鋸を剪定作業に使ってきました。私が帰省して農業をするようなって26年になりますが、父がそれ以外の鋸を手にしているのを見たことがありません。もちろんそれ以前も。(うちにはそれ以外の鋸がない!!)それほど気に入っているのは、その切れ味と、そして、自分で目立てのできるメンテナンスの容易さ(もちろん、かなりのスキルが必要ですが)。私も小川さんの鋸を使っていますが、未だかつて、新品の鋸を使わせてもらったことがありません(^^;)。だいたい、父が使ったお下がりです。しかし、それでも、とても良く切れます。昔、一度だけ、私が中古の鋸の目立てをしてみたことがありましたが、目立て後の鋸はまっすぐ切ったつもりだけど、ななめに切れるという、ひどい鋸になってしまって、父にひどく怒られて、それ以来目立てをするのをやめました。
これほど、父が気に入っている鋸なので、うちでなにかあると「小川梅吉式鋸」が配られています。 顕著な例は、私が23年前に結婚したときの引き出物。結婚式に「切れもの」(それもよく切れる)はさすがによくないだろうと、若干の抗議をしましたが、あえなく却下。でも、こられた地元の皆さんにはとても好評で、今でも使っているという強者も.....。あと、もう亡くなりましたが、祖父の米寿、白寿のお祝いとか年忌とか。 今日は,、手持ちの在庫がなくなったのと、同業のみかんつくりの先輩が欲しいと言うので、久しぶりに、小川さんに電話をかけてみました。そういえば、前回購入してから、長年(10年くらいか)経過していました。久しぶりにお話をしましたが、娘さんとでした。残念ながら、小川梅吉さんはおなくなりになられたそうです。でも、その後をついで、今でも鋸の製造販売をされているとのことで、とてもうれしく、心強く感じました。
静岡の興津にあって梅吉さんと、鹿児島の父とは、個人的なおつきあいはなかったと思いますが、鋸という、みかんつくりにはなくてはならない道具を通じて、共に、この世代の人達が戦後のみかんの黄金時代から現在までを支えてきたのだと思います。そして、その次の世代を今度は私達が支えていく世代交代の時期にいよいよなってきたと、しみじみと考えた夜でした。このことは、もちろん、みかん作りに限らず、自分の住んでいる地域のことも同じですけどね。 そのバトンのリレーを、何事にしても、これからも続けていくことがとても大切だと思います。
継続は力ですね。
これほど、父が気に入っている鋸なので、うちでなにかあると「小川梅吉式鋸」が配られています。 顕著な例は、私が23年前に結婚したときの引き出物。結婚式に「切れもの」(それもよく切れる)はさすがによくないだろうと、若干の抗議をしましたが、あえなく却下。でも、こられた地元の皆さんにはとても好評で、今でも使っているという強者も.....。あと、もう亡くなりましたが、祖父の米寿、白寿のお祝いとか年忌とか。 今日は,、手持ちの在庫がなくなったのと、同業のみかんつくりの先輩が欲しいと言うので、久しぶりに、小川さんに電話をかけてみました。そういえば、前回購入してから、長年(10年くらいか)経過していました。久しぶりにお話をしましたが、娘さんとでした。残念ながら、小川梅吉さんはおなくなりになられたそうです。でも、その後をついで、今でも鋸の製造販売をされているとのことで、とてもうれしく、心強く感じました。
静岡の興津にあって梅吉さんと、鹿児島の父とは、個人的なおつきあいはなかったと思いますが、鋸という、みかんつくりにはなくてはならない道具を通じて、共に、この世代の人達が戦後のみかんの黄金時代から現在までを支えてきたのだと思います。そして、その次の世代を今度は私達が支えていく世代交代の時期にいよいよなってきたと、しみじみと考えた夜でした。このことは、もちろん、みかん作りに限らず、自分の住んでいる地域のことも同じですけどね。 そのバトンのリレーを、何事にしても、これからも続けていくことがとても大切だと思います。
継続は力ですね。
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