今年も無事、ハウス蜜柑の花が見えてきました。
この状態になって初めて、私にとっては新年が明け今年もがんばるぞと気持ちが新たになってきます。旧年中は本当にありがとうございました。 そして、今年もどうぞ、宜しくお願いいたします。
昨年は、私が農業を初めて以来のはじめての大不作の年でした。
6月の日照不足、8月の干魃、9月はヤガの異常発生。そして、20年ぶりの猛烈な台風の襲来。今考えてみると、天候不順に翻弄された1年だったと感じます。
周囲にいて、これまで一緒に蜜柑栽培をがんばってきた地域の先輩方もだんだんとみかんつくりをやめられて行く中で、1916年に初めてみかんの試作がこの地になされてから、100年目の節目の年となりました。
さらに、地元の津貫小学校の閉校を3月に迎える大きな節目の年でもあります。
新たな一歩をと口にするのは簡単ですが、10年先を見据えてみると最初は緩傾斜でも徐々に急傾斜に変化する上り坂を仰ぎみるような気がします。しかしながら、この地に根ざして生きて行くと決めて30年経ちますが、これから、この地の特徴を生かした「自分たちが住んでいて楽しめる」地域を創 造していく主役は、やっぱり、地域に根ざした自分たちなんだと思います。
地域を深く考える元年として、精一杯、楽しんでいく1年にしたいと思う今日この頃です。
台風15号の被害は当初予想していたより、はるかに大きかった。
フィリピン沖から北上するにつれ、強風圏にはかかりそうな予報だったが、途中、960hpに勢力も低下し(といっても強いんだけど)形が崩れたり していたので、南九州に到達するころには、あまり被害も出ないだろうと、たかをくくっていた。
ところが、予想に反し、勢力は減衰するどころか反対に増し、また、コースも東シナ海を北上、つまり、鹿児島のすぐ西沖を北上する最悪となり、午 前1時ころから急に暴風雨が激しくなった。やがて、午前2時から3時にかけては、雨も風も最大となり、とてもゆっくり寝ていられるような状況ではなく なった。
朝、気がついてみると7時前で、いつの間にか寝入ってしまったようで、静かな目覚めとなった。ところが、一歩外にでてみると、台風の爪痕 は思いの外ひどい有様で、道路に散乱した枝のために、容易に車も出せない状況だった。
最終的には、停電が36時間。50年生の早生みかんが数本たおれ、育成中の幼木はほとんどが根元をゆさぶられ、客土が必要となった。オリーブは風に弱いとは聞いていたが、支えていた支柱ごと地面にべったりと倒れ、これほどかとあきれるばかりだった。
「災害は忘れたころにやってくる」。言い古された言葉でも、やはり、直面してみると、その自然の猛威には、とても太刀打ちできないと再認識しま した。
この猛烈なエネルギーをどうにか活用できないものか。
今年のハウス蜜柑は、加温開始こそ1週間遅れていましたが、後半の室温の炊き
込みで十分に着色までもっていけると、5月頃までは見込んでいました。
ところが、6月になって、ほとんどお日様が見えず、雨量に至っては、加世田の
実績で例年の2.8倍程度降り、過去最高を更新しました。この長雨と日照不足、
加えて、なり込みも例年より多かったために、最期の仕上がり段階で裂果が多発
しました。
おかげで、裂果→腐敗。
この連鎖に夜蛾(ヤガ)が反応して、ハウス内でヤガの被害果実が散見されるよ
うになりました。
ということで、表題の夜回りを最近行ってますよ。
昼間は激しく飛び回り、見つけても捕殺はきわめて困難ですが、夜は、ゆっくり
と葉や果実(←怒)にとまってます。
彼らも、生きるに必死なれど、私も一生懸命。
ハウス内のアケビコノハ 2ショット
私が中学校を卒業したのは、昭和54年3月27日。そのときに、当時在籍していた、津貫中学校器械体操部の顧問の先生から卒業祝いにいただいた 時計が、36年目にしてついに先日、止まりました。
どこに行くにもいつも一緒で、高校から東京の大学へ、そして、帰省して今の生活を始めた時まで、ずっと一緒で、さして狂いもせず、また、止まりもせず、その時その時の大切な朝を目覚ましとしても、本当に支えてもらったと思っています。
時計に成り代わって、今の時代を眺めてみると、安いものは1000円をきるものから、しかも、狂わない電波時計というものまであって、不具合があって止まったら、消耗品のごとく、新しいものとすぐ交換という時代。時計にとって、なんと、生きずらいこの激動の世の中に、実に静かに、堅実 に、こつこつとよくがんばってくれた、と感謝しています。
その、大役を無事終えて、次は、私の人生を助けてくれたグッズの一つとして、未来永劫、飾ってあげることにし、36年間の感謝をこめて、第2の人生を送らせるにあたり、この際、軽く分解をしてグリスアップをすることにしました。
アルコール性の洗浄スプレーをくまなく噴射。次に、よく乾燥後、ギアのところに、潤滑油をくまなく噴射。電池を新しく入れて、無理矢理、秒針、 長針、短針をぐりぐりぐりと指で強制的に回転。
やっぱり、復活しなかった。 orz → そのまま放置・・・・・・
と、あにはからんや、なんと、1時間後、いつの間にやら、また、静かに、しっかりと動きはじめて、おりました。
だいぶ、荒っぽい刺激でしたが、また、応えてくれました。
恐るべし、日本のもの作り。
笑笑
また、次の30年、一緒にいてくれるかなぁ。
いやいや、まずは10年目標だね。
時計と、元気印の競争です。
先生に感謝!!!
そして、36年前の時計をつくってくれた、CITIZENに感謝!!
来る日も来る日も雨続き。
梅雨に入ってからというのの、その晴れ間もたった1日だけで、また、その後、雨続きです。
仕事が進まないです。
こうなったからには、来る(いつくるかわからないけど)晴れ間には、天気のいいときにしかできない仕事をかたづけることにして、まずは、雨の中でもできる田植えをすることにしました。今日がその初日です。
と、いっても、田んぼへの影響はないかというと、実は、大ありです。水稲の苗の生育がよくありません。悪天候の影響をまともに受けています。苗を育てはじめてから天候に恵まれず、日照不足で草丈だけ伸びてしまって、しっかりとした根が張りません。一本一本の苗が細く、ヒョロヒョロの苗になってしまっています。
でも、このまま待っていたとしても今度は伸びすぎてしまって、植えたそばからポキッと折れてしまいます。これ以上伸びすぎてしまう前に、植えてしまうほうがよさそうです。それに、田植えのあとは、スクミリンゴガイの被害が心配です。いわゆるジャンボタニシですが、このモヤシのようなひょろひょろの苗をとても好みます。
「苗半作」と昔からいいます。丈夫ないい苗をつくることが、いい作物を作る基本。田植えの前からこれでは、先が思いやられる気がします。
何かと気がかりのある、今日この頃です。
遅れていたえだつり作業もほぼおわりつつあります。
今年は、昨年12月の悪天候続きのため、加温開始を遅らせたこともあって、おおむね10日程度の生育遅れの状況です。さらに、梅雨にはいってから は、ハウス内の湿度が常に高く、裂果しやすい状況になってきました。
しかしながら、散見される裂果を落としつつですが、仕上げのえだつり作業が終わりに近づくにつれ、これからの順調な生育がとても楽しみです。
そして、そんな一日の仕上げは、作業日誌をつけながら飲む、焼酎一杯。
そのうまいこと。
そういえば、今朝は、年に一度、緊張の「健康診断」でしたので、ここ数週間は、規則正しく生活し、暴飲暴食を避け、体重制限をしていました。
今日から、解禁だ〜 \(^o^)/
「備えあれば、憂いなし」。きっと、今年の結果はいいかも。 笑笑
先日、年金機構のデータが流出したことで、その後、情報セキュリティにかかわるニュースが頻繁に流れています。私はといえは、特に、自宅にサー バーを構えているわけではなく、たいしたホームページでもないので、誰かが、アクセスしてデータを抜き取るとかいう無駄な努力をする対象にもなり 得ないだろうと、もっぱら、プロバイダ頼みのセキュリティ対策に終始しています。
ただ、今回、津貫小学校の閉校関係の情報を、その、たいしたこともないページに掲載するかな、と重い腰を上げたところなので、さて、一体全体、い かほどの皆さんが、我がページを訪れていてくださるのかと、興味と、不安と..... 。
ほとんど、訪れる方もいらっしゃらないページならば、郷土出身者の皆さんに広く呼びかける目的で、ページを更新したところで、その努力は無駄にな るわけで。
そこで、アクセスの解析をすることにしましたよ。
というか、実は、6月8日からやってます。
訪れてくださる皆さんのipを特定するとかではないので、ご心配なく、ご安心を。
国とか、地域とか、人数とか、どれくらいの時間をかけてページを見てくれているのとか。
はたまた、ちらっと観ただけですぐページを離れていく人の割合とか(これが、結構、多くて.....汗)
眺めていると結構おもしろくて、遠くはなんと、イギリスからもアクセスがあるらしく...人数は限られてますけどね。
はぁ、なんと、奇特な方が、世界にはいらっしゃると、逆に感動したりして。そんな方には、ぜひ、コメントでもいただきたかったりして 笑
そんな、奇特な方々のためにも、少し、まじめに、更新しなきゃと心より改心する予定の今日この頃でございます。
いつまでもは続かないかも、だけどね。
こちらにおいでいただき、何か、得るものがあればよろしいのですが。
今日も、ブログの最期までおつきあいくださり、誠にありがとうございます。
お口直しに、現在の普通作水稲の苗の生育状況を写真でご紹介。
この、苗を育てるときにいつも思うのは、この一粒の種もみから、やがて、1000粒の米を実らせてくれる、その自然の力の偉大さですね。
自然の偉大な力に感謝。
そして、私の力は、微力なり。
今年度末をもって、我が母校、津貫小学校が閉校となり、加世田小学校へ統合することとなりました。
昨年から決まっていたこととはいえ、今年度いっぱいでいよいよとなると、さすがに寂しく感じられます。しかしながら、視点をかえ、これからの津貫に育つ子供たちにとってはいいことと前向きにとらえ、精一杯の応援をしていきたいと思います。
地元を離れている出身者の皆さんにとっても、津貫を見直すひとつのきっかけとなればと思います。地方創生がまさに今、声高に叫ばれている中で、小学校閉校後の津貫校区のあり方を考える、その点でもとても大切な1年となります。校区外からみた津貫の姿や、こうあって欲しいという意見などがあれば、個人的にでもいいですので、お寄せいただけたらありがたいと思うところです。
折しも、1916年にこの津貫に蜜柑が試作で始めて導入され、それが、私の生活の糧である「つぬきみかん」の基礎となってから100年目の大きな節目の年でもあります。
そのためのページを加えました。素っ気ないペー ジですが...(^^;)